2010年2月 1日
御家人の知行
御家人の大半は、知行地を持たない30俵以上、80俵取り未満の蔵米取で占められ、知行地を持つ者でも200石取り程度の小身であった。ただし、旗本と御家人の定義は直参のうち謁見できるかどうかであったので、家禄(俸禄)の高低は家格の決定に関係がなく、旗本で最も小禄であった者は50俵程度で、御家人の大半よりも少ない。200石(俵)取り以上の御家人もいたが、400石を越える御家人は存在しなかった。江戸時代中期以降は、地方知行制が崩れ、蔵米取に移行したり旗本に昇進したりしため、知行地を持つ御家人はほとんどいなくなった。
御家人の多くは、江戸時代中期以降、非常に窮乏した。諸藩の藩士は、家禄が100石(俵)あれば一応、安定した恵まれた生活を送れたとされるのに対し、幕府の御家人は100石(俵)取りであっても生活はかなり苦しかったと言われる。御家人は大都市の江戸に定住していたために常に都市の物価高に悩まされ、また諸藩では御家人と同じ程度の家禄を受けている微禄な藩士たちは給人地と呼ばれる農地を給付され、それを耕す半農生活で家計を支えることができたが、都市部の御家人にはそのような手段も取ることができなかったことが理由としてあげられる。窮乏した御家人たちは、内職を公然と行って家計を支えることが一般的であった。
御家人の家格は譜代(ふだい)、二半場(にはんば)、抱席(かかえせき)の3つにわかれる。譜代は江戸幕府草創の初代家康から四代家綱の時代に将軍家に与力・同心として仕えた経験のある者の子孫、抱席(抱入(かかえいれ)とも)はそれ以降に新たに御家人身分に登用された者を指し、二半場はその中間の家格である。また、譜代の中で、特に由緒ある者は、譜代席と呼ばれ、江戸城中に自分の席を持つことができた。
譜代と二半場は、無役(幕府の公職に任ぜられていない状態)であっても、俸禄の支給を受け、惣領に家督を相続させて身分と俸禄を伝えることができた。家督相続や叙任にあたっては、御家人は旗本のように将軍に謁見することはなかったが、譜代席のみは城中で若年寄や頭などの上司に謁見して申し渡された。譜代席未満の御家人は、城中ではなく自分の所属する機関で、申し渡しがあった。
譜代と二半場に対して、抱席は一代限りの奉公で隠居や死去によって御家人身分を失うのが原則であった。しかし、この原則は、次第に崩れていき、町奉行所の与力組頭(筆頭与力)のように、一代抱席でありながら、馬上が許され、230石以上の俸禄を受け、惣領に家督を相続させて身分と俸禄を伝えることが常態化していたポストもあった。これに限らず、抱席身分も実際には、隠居や死去したときは子などの相続人に相当する近親者が、新規取り立ての名目で身分と俸禄を継承していたため、江戸時代後期になると、富裕な町人や農民が困窮した御家人の名目上の養子の身分を金銭で買い取って、御家人身分を獲得することが広く行われるようになった。売買される御家人身分は御家人株と呼ばれ、家格によって定められた継承することができる役ごとに、相場が生まれるほどであった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
征夷大将軍の家人である武士の身分を指す言葉の用です。
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